保守本流を豪語するT氏と議論をしていて、僕も政治/思想的なスタンスを明確にすべきなのかもしれないと思った。しかし、思えば高校生の頃から政治思想は努力して隠蔽するようにしてきたわけで、宗教嫌い、右も左も嫌い、小中学校の教員嫌い、NTTと事務役人嫌い、アサヒスーパードライ嫌い、という傾向だけをまとめるとどうなるのか? リベラル中道ちょっぴり左派というところか。そんなわけで、リベラル中道左派っぽく、一人称の文章に「僕」を使ってみた。気持悪い。いずれにしろ、スタンスを明確にしないと自分が済み心地良い生き方ができない年代なんだろう。そもそもなんで主義主張を封じてきたんだったっけ? 群れたくないからか。
群といえば、代数は肌にあわなかったなあ。小学校のドリルも嫌いだった。自分は、嫌いなものでカテゴライズするほうがわかりやすい。つまり、ネガチブ。
2 件のコメント:
そお?
奥さん、女の子全般、気の利いた絵と音楽、いかす機械類、筋が通った話、スパイスの効いたカレー、楽で自然な服装、その他いろいろ
好きなものだって、僕が知ってる限りでもたくさんあるし、特徴が表れてるじゃん。
確かに好きなものはあるんですが、政治的スタンスには結びつかないという罠。どちらかというと道楽にばかり興味がある(ビールは道楽ではなく、糧です)。しかも、それさえも嫌いなものから演繹できる。i.e. 男が嫌い、ネクタイが嫌い、癖のない食べ物だと物足りない...
素直に認めたくはありませんが、多数派になったら負けだとおもっている、というのが本音かもしれません。だから、多数派を毛嫌いする。この、アンチ多数派という方法の利点は、独自の路線を強行するわけではないので、多数派の存在なしにはありえないところ。つまり、ネガチブ。
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