2006/12/04


本当は好きなものを嫌いと言ってみることでアイデンティティを成立させようとしていた時期があったと思う。

たとえばクラシック音楽への興味は、メジャーな楽曲のメジャーなフレーズへの興味から入って、そのうちマイナーな作品の魅力に気づき、オレだけが知っている的な優越感とともにどんどんマイナーな作家/作品/演奏を指向していって、そのうちメジャーな作家/作品を否定するようになった。このメジャー否定は、小中学校の音楽の時間に超メジャーどころを強制的に視聴させられて感想文を書かされるような体験と調和して増幅した。もう、なんでこんな子どもっぽい曲を聴かなきゃいけないんだ、と。モーツァルト? ヴェーベルンでも聴かせろや。

で、高校生にもなるとクラシックなんかよりハードロックに目覚めるから、モーツァルトもヴェーベルンも忘れさる。モーツァルトを思い出すのはずいぶん年齢を経てからだ。そこで、なんでこれを否定してたんだろうと思って悲しくなる。モーツァルトを否定することで、オレはもっとディープな作品を聴いているんだという優越感を安直に手に入れようとしていたんだろう。

今思い出すと、本当はモーツァルトも好きだった。好きなものを好きと言えるようになるには、たぶんものすごい跳躍が必要だった。どこで飛んだか知らないけど、いまは自分の好き嫌いを社会とのかかわりでとらえなくてすむ場所にいる。生きやすい。

なんで突然こんな個人的なことを書きたくなったかというと、フジテレビで月曜日に放映している「のだめカンタービレ」が楽しくてしかたないから。自意識を一周してきて、ようやくこういうドラマを素直に楽しめるようになったんだなあ。

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