現代音楽は抽象的だといわれることが多い。だからわけがわからんと。確かにそういう面はある。
とりあえず何が現代音楽か定義せずに話をすすめるけど、クラシック音楽のいいところは、作曲家のほかに演奏家という存在がコンテンツのオーソリティーとして認知されていることだと思う。音楽を聴くほうにしてみれば、たとえ作曲家の言っていることが強烈すぎてちんぷんかんぷんでも、あるいは稚拙すぎて退屈でも、演奏家というフィルターを通して楽曲に接することができる。ようするに、どんな曲でも演奏家しだいでコンテンツとして成立できるってことだ。Pollini や Boulez を見れば、ここまではあながち間違っていないはず。ただし彼らの演奏が秀でているのは、それが一般人ウケするようなフィルターだからじゃなくて、譜面を読み込んで忠実な解釈を徹底していることにある。だから楽曲の質が大きく影響しているはずなんだけどつまらない曲もキラキラしちゃうから不思議。閑話休題。
彼らのすごさはおいといて、技術書というコンテンツも同じことが言えなくちゃだめだよなあと思う。譜面と演奏の関係が、原稿と編集の間に成り立つのか、それとももっとメタレベルで技術と書籍の間に成り立つのかは知らない。たぶん両方なんだろう。
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