2005/06/28

労働が限界生産力と限界不効用の均衡だけで決定する時代がうらやましい。って、最近こんな愚痴ばっかり。労働者である自分の限界不効用は超過してるし、企業が自分に求める限界生産力は超えていると思うけど、もはやいずれも実質賃金とかけ離れている。
要するに、ここのところ感じているのは年収の問題だということに気がついた。しかも、今後年収が増加する希望もない(これは業界の問題というより弊社の問題)。
これまでもうすうす気が付いてたけど、先月からいろいろあって、はっきりした。ひとつには父親の死がある。生涯にわたって年収300万円で幸せなのは、あくまでも不測の事態が起こらない世界の話だ。こう書くと、不測の事態に備えるために保険に入りましょうって言われる。長谷川京子や矢田亜紀子はかわいいけど、生命保険は勘弁してください。保険は年収300万円の労働者にやさしいとはいえない。社会保険も不公平の塊だし。いずれにしたって、むー。
コドモが生まれたらどうするか、というのも、同じ意味で年収300万円にやさしくない不測の事態だと思う。要するに、自分以外の身内(この場合は奥様と生まれてくるコドモ)に生じる不測の事態を乗り切るには、どうあがいたって現金がいる。
これら(自分以外の身内に起こる不足の事態)に比べれば、あとはマイナーな問題。人生を豊かに暮らすためには資金が必要なんだとか、自分は現金が欲しいんじゃない正当な評価が欲しいだけなんだとか、老後の安泰だとか、生きる意味だとか。
こうなったら業務時間中にデイトレーディングにいそしむか、それとも、もっとストレートに副業をするか。でもそんな余裕はないのです。

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