2012年10月19日、ロハン・デ・サラムと児玉桃の共演が津田ホールでありました。 これがロハンおじさん。
このロハンおじさん、アルディッティという人が組織している現代音楽しかやらない弦楽カルテットで長らくチェロをやってきたので、とにかくうまい。 超絶技巧な現代のチェロ曲をさらっと弾く。ヘリコプターの上とかでも平然と弾く。歌うような演奏とは対極にある、クールなうまさです。 十八番はコダーイの無伴奏で、上の写真もロハンおじさんのコダーイが聞ける唯一のCDのジャケットです(ほかにあったら教えてください)。 わりと入手困難で(MP3ならamazonでも買える)、会場の物販にも並んでたやつもロハンおじさんが自ら持ち込んだものだったらしい!
一方の児玉桃も、現代曲、とくにメシアンのCDで名前が知られてるといっても自分的には過言ではないような気がします。 そんなロハン・デ・サラムと児玉桃の共演です。 なんてったってロハン・デ・サラムと児玉桃です! もしかして「イエスの永遠性への賛歌」が生で聴けるのか!って期待するじゃないですか。 百歩譲ってドビュッシーでもいいよ!って思うじゃないですか(2008年のサラムと高橋アキのドビュッシーはよかった)。
違いました。なぜか1曲目はシューマン。なんでロマン派。 シューマンももちろん悪くはないんけど、なにもロハン・デ・サラムと児玉桃でやらなくてもいいのになー。 マイスキーとアルゲリッチとかに任せとけばいいじゃないか。 案の上というか何というか、ロハンおじさんは軽く引き流してるし、どうもミスも多い感じ。 児玉桃のほうは安定してました。ときどき振り返って投げかける「しっかり!ロハン」という視線もぐっときます。
しかし、その次の細川俊夫「チェロとピアノのためのリート」で空気が変わりました。 打って変わって精彩な演奏に、という感じではなく、最初こそちょっぴり1曲目を引きずっていましたが、 児玉桃に引っ張られつつ空気が変わっていく。 続くカーターの「フィグメント」はロハンおじさんのソロだったのですが、すっかり安心して聴けました。
細川俊夫とかカーターとか、後の演目にあるクセナキスとかもそうなのだけど、 自宅でCDを聞いてるだけだと悪い意味で耳に障ることもあるくらいなのに、 こうやってライブを目の当たりにして聴くと形ある音楽が見えてくる。 CDでも、聴く回数を重ねていくとそのうち音楽として聞こえてくるようになるんだけど、 ライブだと、一聴で雑音に見えるものから構造が見えてくるという体験がリアルタイムでできる。 そして、そういう体験をさせてくれるロハンおじさんみたいな現代曲の演奏家は本当にすばらしいと思います。
次のフォーレはよく憶えていない、というか、休憩を挟んだその次のクセナキスの印象が強烈すぎて忘れました。 曲目はコトスで、過去にロハンおじさんの生演奏を聞いたこともあるし、 CD(やはりロハンおじさん演奏)を通じて慣れ親しんでいた曲なので、 個人的に今回のプログラムの中でいちばん楽しみだったわけですが、 なんど見てもカッコいい! まずステージの光景からしてかっこいい。 フレーム構造の譜面台に乗せた黄ばんだ大きめの一枚つづりの楽譜が、ステージの照明で透けて、譜面の密度が客席からも垣間見える。 その向こうでロハンおじさんが一人、あのコトスのしょっぱなの地の底みたいな音の塊を、まるで基礎練習でも始めるみたいにしれっと弾き出す。 なんかテンポもCDより速い気が。中盤になると思わず縦に身体が動いてしまう。クセナキスなのに。 その次のR.シュトラウスもまあ楽しかったですが、ほとんどコトスの余韻だけで楽しんだ気分です。 アンコールはカサドが編曲したグラナドスの何かだといってました。初めて聴く曲だったけど、調べてみると「ゴイェスカス」かな。最後までメシアンを期待してたので残念でしたが、まあ、これはこれでよかったです。
演奏会後にはCD購入者向けのサイン会がありました。 売っていたロハンおじさんのCDはほとんど持っていたので、「インドの作曲家による2曲」(ロハンおじさん談)という、見たこともないCDを買ってサインしてもらいました。 軽く舞い上がってしまい、コダーイ持ってるよとか、どうでもいい話をしてしまいました。 冷静になって思い返したら、松村貞三の17絃箏のための祈祷歌のチェロ独奏版を録音してくれとかせがんでくればよかった。