2005/11/09

仕事をこなすときのモチベーションには、「部屋のハエを始末したい」と等価なモチベーションと、「ハエのいない部屋に移りたい」と等価なモチベーションの、2種類があるように思う。いずれのモチベーションも、うるさいハエ(五月蝿い蝿)を何とかしたいというメタモチベーションから帰結するものだけど、それぞれのモチベーションに従ったときの帰結は異なる。「部屋のハエを始末したい」の帰結は、よくて職人(ハエをハシでつかむとか)か、せいぜいエアロゾルのラインを見張る労働者だろう。
こういう場面では必ず注釈が必要なので、いちおう断っておくけど、ここでラインの労働者を揶揄するつもりはまったくない。ただ、「ハエのいない部屋に移りたい」とは決定的に異なるモチベーションで従事する労働のひとつに、工場のラインを見張る仕事があると思うだけだ。だから、金曜の定時直前に上司の仕事をくらった秘書を例に採用したっていいし、出荷直前に致命的なバグ報告を受けたプログラマを例に採用したっていいし、印刷所への入稿ぎりぎりで大きな修正を迫られた編集者(!)を例に採用したっていい。でも、そんな切羽詰ったシチュエーションじゃないほうが一般的なわけで、たぶん、工場のライン労働は、そのイメージがつかみやすい仕事のひとつだと思う。

「部屋のハエを始末したい」モチベーションの最大の特徴は、対処すべき対象が目の前に見えていて、それにエネルギーを割けばいいことがはっきりしている点だ。ハエさえ片付ければ、すべてが終わる。さらに、もうひとつ副次的な効能もある。それは、自尊心にやさしいことだ。だって、ハエを追っている(つまり仕事をしている)ことは他人の目からみても明らかだから。そのため、このモチベーションに従って仕事をしていると気分がいい。仕事の結果も、100%気分がいい。だって、もう目の前にハエは飛んでないんだもん。
ところが、しばらくするとまた別のハエが飛んでくる。必ず。そもそも、最初のハエが部屋に入ってこられたのと同じ経路で、ハエはたえまなく侵入してくる。同様に、ラインの現場でも、今日のノルマが終わったら明日の生産分が待っている。ハエを追い払った後で純粋に安穏とできる期間は、業種によっても違うけど、自分の経験では、せいぜいビールを何杯か飲むあいだだ。あるいは、こうやってたわごとを書き連ねているあいだだ。もちろん、現実には仕事がなくなったらそれはそれで困るわけだけど、そのうち永遠にハエを追い続けるというイテレーションに嫌気がさして、いま飛んでいるハエを始末したいというモチベーションだけでは精神を継続できなくなるだろう。っていうか、僕には無理。

「ハエのいない部屋に移りたい」というモチベーションが魅力的に感じられるのは、そのときだろう。実際にはもっと早い段階で自分が部屋を出る可能性も考えるだろうけど、その思いつきが仕事に対するモチベーションになるかは別の問題だ。
どうして別の問題なのか。部屋の外にはもっとたくさんのハエがいることを知っているから? それもあるかもしれないね。しかし、もっと根本的なのは、それがどういう仕事を駆動するかが異なるからだと思う。何が言いたいかっていうと、「ハエを始末したい」というモチベーションにより駆動される仕事が(自分にも他人にも)わかりやすい形をとるのに比べて、「ハエのない部屋に移りたい」というモチベーションにより駆動される仕事は、ずっと複雑な対応を求められるってこと。だいたい、別の部屋にハエがいないのかどうか知らない。ハエよりずっとやっかいなものがいるかもしれない。そもそも別の部屋があるかどうかも知らない。部屋があるにしたって、どうやってそこにいけばいいのかも知らない。どうすれば別の部屋の状況を知ることができるのかさえ知らない。こういう、何から手をつければいいのかさえ分からない問題への対処は、どう考えても相当分かりにくい仕事だ。つまり、このモチベーションが駆動する仕事は、「ハエを始末したい」というモチベーションにより駆動される仕事とは異なる。あえて色のついた表現をつかうなら、よりクリエイティブな仕事って言ってもいいと思う。ハエを始末しないことがクリエイティブなのではない。このモチベーションによって駆動される仕事をしているときでも、部屋のハエは始末しなければならない(でなければ破滅するわけで)。

もしかしたら、この部屋にやってくるハエの数を減らすことも可能かもしれない(これは、侵入してくるハエを選別するという意味だ。この部屋では、ハエが一匹も入ってこない状況は破滅を意味する。破滅してから部屋の外に出ることもできるけど、一般には無謀だね)。自分に関していえば、ハエを選別しつつ、別な部屋の探索を続けるべきだと痛感しているきょうこのごろ。

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