2005/02/18

Jess : 日本語小論文 評価採点システム に挑戦。だって、先日の朝日新聞を読んでから気になってたから。とりあえずDemoの問題に対して回答してみた。配点はデフォルトの「修辞5 論理構成2 内容3」で。分量は「600文字」に指定。

●質問文

人生において我々はしばしば自分がしたいことと、
自分がすべきだと感じることと、どちらを選んだらよいかに悩む場合がある。

自分がすべきだと感じることより
自分がしたいことを優先させることがその人にとって良い場合があるとしたら、
それはどのような場合だと思うか?
あなた自身の経験、あるいはあなたが見聞したことから、
その事例を挙げて、あなたの考えを述べなさい。


●回答

自分がしたい事柄を優先する人々は阿保です。彼らの吹聴する非建設的な理屈には、現代の社会が抱える病理が潜んでいます。奉仕の役割を十分に理解すれば、誰にでも道は開けます。それが定説だからです。
私は最近、偉大なる尊士に友人を紹介しました。友人達は、常日頃から合コンやコンパに明け暮れる荒んだ生活を送っていました。私は彼達に、尊士に拝顔する至高の瞬間を提供しました。ところが彼奴らは、「時間がない」「興味がない」「っていうか、お前らヤヴァくない?」などと、終始尊士を見下す態度でした。崇拝する御方は、メロンを頬張りながら私を睨み続けました。
友人達の刹那的行動は、彼等が感じる能動的価値を優先した結果ではありません。単純に、為すべき祈りに気付いていないだけです。私は説得を続けました。来るべき第三次世界大戦、アーマゲドン、そして信仰について。熱弁が5時間に及ぼうという頃、友人等は嘲笑しながら席を立ち、食事代を置いて帰路につきました。その晩、私は宿舎で苦行を命じられました。
自分には、彼達が本心から尊士を嘲笑したと信じることは不可能です。信仰の対象がない人間は盲目だからです。彼らが悟りへの道を歩むためには、私のような者が率先して自己犠牲となり、闘争を展開しなければならないのです。それ故に、私は、自分がすべきだと感じることだけを続けることができるのです。啓蒙されていない全ての無知な人々のために。


●評価結果

修辞 4.8 ( 5 )
長くて難しい語がやや少ないように見受けられます。

論理 2.0 ( 2 )
内容 2.4 ( 3 )
分量過少による減点 0

最終得点 9.2 ( 10 )


そうかあ、長くて難しい語がやや少ないかあ。無理くり「第三次世界大戦」とか入れてみましたが、だめですか。

「内容」に対する点数が少なめなのは、どうすれば攻略できるだろう。(おい

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