2007/01/20


おれカネゴンさんの一言をきっかけに、ひさしぶりにコンサートに行ってきた。去年はひとつも行かなかったなあ。

東京都交響楽団 第638回定期演奏会 Aシリーズ
http://www.tmso.or.jp/j/concert_ticket/detail/index.php?id=3024

こちらで絶賛されている松村禎三の「ピアノ協奏曲 第1番」は聴いたことがなかったけど、生で野平一郎の協奏曲ソロが聴けるということで、すぐにチケットを手配。オネゲルの5番が「生で」聴けるというのも即決したポイント。ミヨーも聴いたことないけど、まあ、ミヨーのオーケストラ曲は僕にとってどれも似たような印象だからハズレはありえないだろう(これは賛辞です)。幸い(主催者側にとっては残念ながら)、席は豊富に残っていた。もう1週間前なのに。野平なのに。

当日、会場は予想どおり空席が目立つ。ぼくは3階だったので、開宴前に上からぼうっと下を見ていると、おじいさんが車椅子で会場に。よくみると松村禎三本人で、やるせなさがこみあげる。この演目だから客が入らないというより、たぶんぼくのような潜在的な客を逃しているのが大きいんだろう。実際、ぼくも公演の存在すら知らなかった。

演奏については、まず、この公演に足をはこぶきっかけを与えてくれた「新しい世紀のための音楽」のレビューを。

ぼくには、松村禎三の2曲はどちらも文句のつけどころがなかった。とくに「管弦楽のための前奏曲」では、CDで聴いて知っていた以上にピッコロ6本がからみあう迫力がすごくて鳥肌もの。「ピアノ協奏曲第1番」は、もう、やっぱり野平さんすげー。苦労している様子は少なくとも僕には感じられなかった。はじめて聴いた曲だけど、竹薮がざわざわしているようなピアノソロの冒頭になつかしい印象を受けるのは松村禎三本人がいっているところの「アジア的な群」というやつにアジアで生まれ育った人間として共感するのでしょうか。よくわかんないけど。とにかく、それからピアノが次第に高揚していって、気づいたらオーケストラがうねりながらからんでいる。自然科学的には風がふいて竹薮がざわめくはずなのに、竹薮がざわめくことで空気をゆらし風を巻き上げているみたいな。そういううねりが2回くらい繰り返され、冒頭のようなピアノソロのざわざわで静かに終わる。この協奏曲は、ほんとうにすごいや。その世界感をきちんと提示してくれた都饗と指揮の下野さん、野平さんの演奏ではじめて曲を聴くとができてよかった。この協奏曲はストラビンスキーとバルトークと前期ケ−ジの好きな全世界の人に心からおすすめ。

後半はミヨーとオネゲル。ミヨーは誰がやっても同じようにハッピーになると思うのでいいとして(これは賛辞です)、オネゲルの5番は最後になって管がちょっとばて気味に感じられた。第1楽章はとてもよかったけど、それも中盤で弦による主題を背景に木管がタリラータリラーってするとことか、だいぶ弦に潰されてしまっていた感じ。第3楽章のラストになると、みんなちょっぴりぐだぐだ。でもとてもよい演奏会だった。C席3500円でこれだけ楽しめるとは。こんな構成はあまりないだろうけど、都饗の定期演奏会はこれからもチェックするようにしよう。

2007/01/18

常識なのかもしれないけど……

LaTeXのリストの体裁を制御する変数(『The LaTeXコンパニオン』の72ページに書いてあるやつ)のうち、リスト全体の上下のアキを制御する変数がなぜか3種類ある。
  • \topsep
  • \parskip
  • \partopsep

この違いが本を読んでもよくわからない。本の解説によると、\topsepは「最初の項目と続く段落との空き」で、\partopsepは「環境が新しい段落を始める際に、\topsepに追加される余分な空き」で、\parskipにいたっては説明すらない。

経験的に知っていること。

\topsep
本文とリストの上下の余白の高さ。つまり、リストが入れ子になっているような場合には、\topsepの値がどうであろうと内側のリストの上下には余白ができない。

\parskip
リストの上側には、\parskipで指定したぶんだけ余分に空きができるようだ。下側には空きができない。入れ子のリストの内側でも同じ挙動。

\partopsep
リストの上下の余白の高さ。入れ子のリストの内側でも同じように余白ができる。


間違っていたら訂正したいので教えてください。

2007/01/14

ついに歯ぐきに穴をあけてインプラントの支柱を埋め込んだ。抜歯は来週。しばらくまともなものが食べられないうえに感染症予防のための抗生剤でぼうっとする。でも明日は出社か。はたらきたくないよう。

奥様は仕事だし自転車にのる気力もない日曜なので、有限状態機械ごっこをしてひまをつぶす。とはいえ、遷移図を睨んでいても頭が弱くてちっとも理解がすすまないので、有限状態機械の動作を模倣する評価機をSICPの第4章を参考にしてつくってみよう。ザ 本末転倒。
(define (q0 input)
(cond ((= input 0)
(output 0)
(transit! q0))
((= input 1)
(output 0)
(transit! q1))))
(define (q1 input)
(cond ((= input 0)
(output 1)
(transit! q0))
((= input 1)
(output 1)
(transit! q1))))

(define (output b)
(display #`"Output: ,b"))
(define (eval-in-current-state input state)
(state input))
(define current-state q0)
(define (transit! q) (set! current-state q))

(define (fsm-loop)
(newline)
(let ((input (read)))
(let* ((state current-state)
(output (eval-in-current-state input state)))))
(fsm-loop))
q0とq1は、いわゆる遅延機械。
gosh> 
(fsm-loop)



1

Output: 0

1

Output: 1

1

Output: 1

1

Output: 1

1

Output: 1

0

Output: 1

0

Output: 0

0

Output: 0

0

Output: 0

1

Output: 0

1

Output: 1

0

Output: 1

1

Output: 0
……

2007/01/06


奥様が「お行」のピアノ曲を聞きたがっていた。「お行」ってなんだ、と聞くと、ロロロロロ……とかポポポポポ……とかで擬音化できるような曲だという。一般にピアノの音の擬音化は「ポロロン」みたいな感じなので、だいたいどの曲も「お行」なんじゃないのか? しかし、どうやら違うらしい。僕がいつも聞いているピアノ曲は、彼女にとってキョキョキョキョキョ……とかリリリリリ……なんだと。つまり「い行」か。

とりあえず彼女がイメージ先行で選んできた「お行」のCDはショパン。なんだ、そういうのでいいのか。つまり、比較的耳にやさしい音がほしいってことね。そこでブレンデル先生のモーツァルトのソナタを渡したら、案の定、求めていたものに合致したようだ。彼女の脳でキョとかリに聞こえるのは、きっとナンカロウとかメシアンなんだろう。たしかに鋭い音が跳ねっ返っているような雰囲気が「い行」に聞こえてきたよ。面白いのはドビュッシーなんかも「い行」系列にくくられていること。方法論は独自だけど結果的に納得できるカテゴライズがなされていることに驚く。その後の実験的な推測により、僕が聞きたい音と彼女が求めている音のぎりぎりの交わりは、シューベルトの後期ソナタ付近にありそうだということがわかった。

残念ながらうちには「お行」系列のまっとうなCDがたいへん少ないので、すこし補充するかなあ ← 結局CDが買いたい。