2010/12/08

Kindleはメディアそのものだった

もう紙の本はbook、電子の本はkindleという一般名詞でいいとさえ思う。Kindle for the Webの正式リリースが数ヵ月後だと発表されて、あらためてそう感じた。Amazon.comも一企業でしかないので、あんまり妄信するつもりはない。けれども、今年の初めにKindle DXを買ってから12冊ばかし読んでみて、Kindleが自分の読書空間の一部になってしまったなと実感している。つまり、Kindleというのはデバイスとかデータ形式ではなく、紙の「本」が書店や読書の場所(自宅とか電車とかスタバとか)なんかを含めた大きなメディアであったのと同じ意味で、メディアそのものだった。

たぶん、Kindleが自分にとってメディアそのものになってしまった背景には、こんな理由がある。
  1. 本当に読みたいと思える本がいつでも買える
  2. リフローするページメディアである
  3. さまざまな環境でシームレスに読めてしまう

1の要因は本当に大きい。この1年でいろんな本がEPUBやPDFで配布されるようになったけど、Kindleにはすでにほとんどそろってる。紙の本ならジュンク堂に行くように、品揃えのよい本屋はそれだけで足を運ぶ価値がある。Kindleは足を運ぶ必要もない。

2は、Kindleに限らず、革命だと思う。むかしはわたしもスクロールメディア対ページメディアとか考えてました。読書におけるページというインターフェースの利点は、情報の位置が固定されることやインデックスとしてノンブルがあることじゃなかったのですね。この革命感は、実際にKindleやEPUBリーダーで本を読みまくらないと実感できないかも。3だって、クラウドとかいう前に、2があるからこそ違和感なく実現できるわけで、リフローするページメディアは偉大だと思う。スクロールして読むEPUBリーダーとか意味わからん。

「こうじゃない」式の言い方をするなら、たとえば、EPUBやPDFで配布されているものをデバイスのKindleで読むことは、ここで絶賛したいKindleのうれしさではない。あるいは、EPUBで配布されている電子書籍をAndroid端末のEPUBリーダーで読むことだって、Kindleストアで購入した電子書籍をKindle for Androidで読むのと同じくらいに快適だけど、プラットフォームとしての魅力があるのはKindleのほう。もしくは、購入した書籍を自炊したPDFをiPadで読むのはすばらしいけれど、それはやっぱり「電子書籍の代替」なんだろうなと思う。

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