2007/10/09

つっかかるようなシューベルトが好きといえばわかる人にはわかるとおり、ぼくはアファナシエフの弾くシューベルトが好きだ。で、10月1日に彼が来日してシューベルト弾くというので、トッパンホールにいってきた。さすがに大御所の演奏会だけあっていい値段だったし、聴衆もおじいさんおばあさんが多くてなんだかなーという感じ。彼らの大半はシューベルトだけが目当てなんだろうな。でも残念でした。この日、アファナシエフが弾きたかったのは、途中の休憩をはさんで演目の真ん中に演奏したシルベストロフだったらしい。それをはさんで演奏したシューベルトの即興曲は、明らかに軽く流してた。すごくうまいけど。

そもそもシューベルトの特にピアノ曲は、例えばかわいい女の子といっしょにいる最中に「この楽しい時間はどうしていつか終わってしまうんだろう」みたいに思い始めてしまったときのあの何ともいえない気分が永遠に引きのばされる感じがたまらないと思うんだけど、そういう雰囲気には欠ける演奏だった。楽しい(pleasure)が幸せ(happy)に結び付くとは限らないってダライ・ラマは言ってるけど、だからこそ「楽しさをなんとか引きのばして幸せを錯覚したい」っていう気分にきゅんとなるわけで、そうでないシューベルトは老後の楽しみにはいかもしれないけど(なにしろアファナシエフはすごくうまい)、ぼくが聴きたいのとは違う。

アファナシエフはピアノソナタ18番をレコーディングしてるけど、そこではこの錯覚した幸せ感を満喫できる。こないだの高橋アキの13番にも同じ印象を受けた。10月1日のアファナシエフは、むしろシルベストロフの曲で、この感じを演奏者として楽しんでいた気がする。そういえば高橋アキはアンコールにサティの「おまえがほしい」を弾いて、それを聴いていたときは「ぶちこわしじゃん」と思ったけど、あの堂々巡り感も同じような世界観なのかもしれない。

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