2005/08/01

学生のころは狂ったように読み物をあさったけど、この5~6年の間に新たに読了した小説は5冊に満たないはずだ。読む時間がないほど忙しかったわけではなく(そういうときもあったけど)、絶対的な読書の分量が減ったわけでもない。単に興味がなかった。
おそらく、この不毛時代の最初に読んだ小説は、『百年の孤独』の新しいほうの翻訳じゃなかったかと思う。もともと好きな小説で、旧訳はさんざん読んでたけど、新訳が出たのでそっちも読んだ。馬鹿みたいにおもしろいことを再確認した。僕が読みたいのは、こういう「現実のはじっこのほうの世界」観なんだとしみじみ思った。つまり、自分にとって小説のページをくるためのモチベーションは、中学生が自転車でひたすら遠くまで走りたがるのと同じ「次の景色が見たい」という素朴な感傷なんじゃないか。で、いったんそんな気がすると自己暗示にかかってしまい、何を読み始めても先に進むモチベーションが維持できなくなってしまう。だって、『百年の孤独』以上に「次の景色」を提示してくれる作品なんて滅多にないんだもん。

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