2006/06/25

そういえば、Ligetiが死んだっていうニュースを最近聞いた。何枚かCDを持ってるけど、ふだん聞いているのはピアノ練習曲集ばかりだし、散漫にいくつかの作品を聞いているだけだったせいか一貫した「らしさ」みたいなものをさっぱり感じられず、あまり思い入れがなかった。思い入れがないと持っているCDのライナーノーツさえ読まないので、どんな背景を持った作曲家なのかもよく知らない。まあ、それでもピアノ練習曲集だけは面白かったので、たまに思い出したように聴いていた。多少の調声が感じられる曲があるのも聴きやすかった。

死んだっていうニュースをきっかけに、ピアノ練習曲集(Naxos 8.555777)のライナーノーツとWikipedia(日本語)だけ読んでみた。けっこう面白いオヤジだったらしい。

改めてこういう記事を読むと、いろいろ府に落ちるところがある。どうやら作風はころころ変わってて、ピアノ練習曲はごく最近のライフワークだったのね。Conlon Nancarrowからの影響についてはライナーノーツでも触れられてたので、確かなんだろう。っていうか、ぼく自身、NancarrowのCDはLigetiよりもはるかによく聴いてる。つまり、ぼくはそういうの(自分では勝手に「パラパラした感じ」って言ってますが)が好きってことで、だからLigetiでもピアノ練習曲だけはよく聴いてたんだろう。

たぶん、前期の楽曲のCDはこれからも滅多に聴かないね。音楽には、作者や演奏者と時代を共有している聴者にとっては極端に有意味なものがあると思うんだけど(Free Jazzとか、Zeppelinの初期とか。それがつまらないという意味ではなく、当時のムーブメントとか気分とかいうやつを共有していなければ正直よく理解できないほどの評価をされているんじゃないか、という意味)、Ligetiの初期の楽曲にもそういうのがありそう。晩年のピアノ練習曲も同じなのかもしれないけど、少なくともぼくには共有できる何かがあるっぽい。だから聴く。ようするに趣味の問題といってしまえばそれまでなわけで。

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