2005/11/12

バルトークは6つの弦楽四重奏を残しているが、第一作を書きはじめたのが作曲を始めて間もない1908年、第六作が死ぬ数年前の1939年だから、ほとんど一生書き続けてたことになる。ところでバルトークが作曲を始めたのは1904年らしい。この1904年ってのは、世界中でものすごいことが起こり続けた年だったのね。もっとも、こういう共時性は確率としてみればさほど意外ではない。生まれた月日が同一の人がいる確率が、数十人程度集めるだけで100%にかなり近くなるのと同じ程度の意外性。そんなことはどうでもいいんだ。
さっき知ったんだけど、実は彼は死ぬ直前に、第七作目の弦楽四重奏を書き始めていた。なんでそんなに弦楽四重奏が書きたかったんだ? あるいは、なんでそんなに涌いてくるんだ? 作曲家が抱くモチベーションなんてそもそも想像できないけど、弦楽四重奏を書きたいというモチベーションはさらに想像できない。だけど、すくなくとも第一作から第六作を聴いていて感じるのは、苦労して作曲している気がまったくしないことだ。イメージが涌き続けて、涌き続けて、涌き続けて困るっていう雰囲気。これがブラームスなんかを聴いてると、頑張ってる感とか使命感みたいなのが滲んでくる場面がしばしばある。ぼくは交響曲を作らなければならないのです、っていう意気込みみたいな。
意気込んでいい仕事ができる人もうらやましいけど、涌いてきて困る意欲でいい仕事ができる人はもっとうらやましい。両者の違いはなんなんだろう。ただの性格の違いなのか、っていうか、性格の違いって何?

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