技術を習得するっていうのは、溜め込んだ知識や情報や経験に横糸を通していくことだと思う。っていうか、昔、徹子の部屋でそんなことを言っているのを見て、なるほどなあって思った。知識や情報や経験は、それぞれ独立あるいは未分化の状態で縦糸としてぶら下がっている。そこに横糸を通すことで、ばらばらだった縦糸を結合し、あるいは未分化だった縦糸のうち関係のあるもの同士を編みこんでいく。
縦糸と横糸は卵と鶏で、常に縦糸が先に垂れていてくれるとは限らない。もちろん縦糸が先の場合は多い。たとえば母国語なら、環境が縦糸をいやおうなく用意してくれ、成長してから文法を学んだり文学に触れたりすることで横糸が通る。ところが外国語の場合はどうだろう。現地で生活することにより母国語と同じプロセスで外国語を習得できる場合もあるけど、はじめに横糸を通すほうが習得しやすいって面もあるんじゃないだろうか。つまり、文法を学ぶことで言語としての構造とノリを俯瞰し、それを横糸にして、単語やイディオムや定型句を縦糸として結びつけていく方法。高い金と時間を使って駅前留学できる人にはお勧めしないが、闇雲に縦糸を垂らす余裕がない貧乏人には悪くないアプローチだと思う。コンピュータプログラミングとか数学とかも同じ傾向があるよね。そういう抽象度の高い技術ほど、横糸の役割が重要になる。ただし、横糸に縦糸をぶら下げただけでは出来上がる絨毯が歪になるので、必ず改めて横糸を通し直さなくちゃいけない。そして、再び縦糸を結んでいく。以下くりかえし。
いずれにしろ、技術を習得すべく努力している場合には、自分がいま縦糸と横糸のどちらのステータスにあるのかを意識してトレーニングにあたるのが懸命だろう。そうでないと、あまりにも非効率だから。当然、教材や講義にも縦糸を垂らすのに向いたやつと横糸を通すのに向いたやつがあるわけだが、縦糸用の教材や講義で横糸を垂らそうとしても徒労に終わる。これはつまり、教材や講義を提供する側も、その教材や講義が縦糸なのか横糸なのかを意識すべきだということ。提供者と受益者の意図が合致しないほど不幸なこともない(自分で書いていて耳が痛い)。
何でこんなことを書いたかっていうと、このページを読んだから。
解法網羅型参考書の効果的な使い方::
http://www003.upp.so-net.ne.jp/chief/reference.htm
via. プログラミングのための線形代数 - なんでも:: 2005-09-03 (Sat) 00:31:00
解法網羅型参考書は、横糸であって縦糸ではない。それを意識して使えば非常に便利なものだと思う。ちなみに、『プログラミングのための線形代数』も横糸だと思う。
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