2005/09/15

電波をインターネッツで公開することの是非についての考察。

もやもや を具体的な姿で示すことと、具体的な姿を もやもや にすることは、単純な逆変換というわけではない。前者は具象化と呼ばれ、後者は抽象化と呼ばれる。これらは確かに逆変換なのだけど、それが単純でないといっている理由は、変換が準同型でないからだ。もやもや →姿→ もやもや で戻ってきた もやもや は、一般には最初の もやもや とは次元が違う。この、もやもや の次元に、順序をつけよう。順序のつけ方は任意だけど、「その もやもや の意味を評価できる第三者の数」に応じて、> または < または = を適用することにする。第三者は人間とは限らない。また、意味の定義はここでは与えない。この順序を、 もやもや のモデルを集合と見なしたときの包含関係により定義しても同じことである。
たとえば。
いまここで、自分の頭に漂っていた もやもや1 を、「多次元のもやもや」みたいな言い方で姿ある形に書き下した。これは、もやもや1 を具象化したことに相当する。さらに、順序をつけることで、書き下した概念を改めて もやもや2 に変換した。なお、もやもや1 は(定義により)そのまま日本語で説明することは不可能だが、もやもや2 は書き表せる。書き表せる、ということは、最初の もやもや1 に比べて、意味を評価できる第三者の数が明らかに多くなったと考えてよい。つまり、もやもや1≦もやもや2(等号は、もやもや2 を評価できるのが依然として自分だけの場合に成立する)。

うーん、どうでもいい。こういう「それっぽい」ことを書くのはやめてください、という声が内側から聞こえるが、電波でも書けば もやもや の次元があがるんだよ。だから書くことにした。

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