2005/01/28

なんでも自分でやる派にとって、人次第で成否の決定する仕事は本当に辛い。しかし、そのことの真のつらさは、その他の派にとっては麻酔をかけられて骨髄注射を打つようなものだろうというのは勝手かね。

ときに、「本の中身を確認できるのが書店の利点」という主張は、実はまやかしだと信じている。これはCDショップからの類推だ。CDショップでは商品の中身を確認できない ことがほとんどだが、自分を含めて、AmazonではなくタワーレコードなどでCDやDVDを購入する人間 は多いように思う。で、その背景にあるのは、ショップのほうがWeb通販より、選ぶという行為の自由度が高いからだと理解している。そのへんは、たぶんAmazonもよく分かっていて、だからこそできるだけユーザーに選ぶ楽しさを提供できるようなサイト作りを心がけているんだろう(もちろんこれは、amazon.co.jpではなくamazon.comの偉さなわけだが。にしても、たとえば、Amazonで「ジャケ買い」をするやつがいるだろうか?)
書籍という商品の場合も、自分にとっての書店の利は、選ぶという行為の自由度においてある。だから自分は、欲しい本が決まっているときでも、わざわざ書店にいくことが多い。しかも、店員に「○○はどこにありますか」と尋ねることもあまりない(仕事とかなら別)。そして、書店にいったら、ある程度の時間は徘徊する。これはきっと「探す」という贅沢な時間の使い方が好きなんだろうなあ。
で、ここまでなら「オレ好み」を主張しているだけの話なのだが、この構造が例えばドンキホーテの成功の理由と非常に近いといった事実から、世間様の多くも「もしかしたら自分にとってナイスな商品の探索」という時間の潰し方に憧れを持っているという確信に至る。感情的にも 、自分に必要なものさえゲットできればいいという鼻息にはオレの求める女以外はノイズと主張するヤンキーっぽさが臭うので、国民の大部分(少なくとも書籍やマンガやCDに消費する人達)がそんなだとは思いたくない。
もっとも、書籍に話を限定すれば、大型書店のラインナップ均一化(売り手の問題)やノイズのような商品が多い(作り手の問題)といった目をつぶれない事実もあり、商品の供給側が総じて魅力的な探索空間を提供する努力を怠っているのはどうにかしてほしいね。他人事じゃないけど。っていうか、なんなのこの左翼系新聞の一面下部に毎日掲載されているコラムっぽい論利展開を無視した後付けは。いやんなる。

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