10月22日に催された「 TeX ユーザーの集い 2011」に参加しました。「ユーザーの集い」というゆるい名前にもかかわらず、主要パッケージメンテナが一同に会する円卓会議で標準的な日本語 TeX 環境に向けた議論がなされたり、 LuaTeX 日本語化の開発状況の報告があったり、単なるエンドユーザーの集まりとは思えない雰囲気で楽しかったです。
そんな雰囲気の中、自分は一人のエンドユーザーとして、パッケージメンテナの方々や開発者を含む「 TeX ユーザー」たちがどこを目指してるのかを考えてました。ざっくり言うと、こんな 2つのベクトルがあるような気がします。
- TeX は、数式や図を含む組版に使える便利なツールである
- TeX は、ドキュメントのための形式のひとつである
当日の発表も、どちらかに大別できそう。たとえば、インプレスさんや達人出版会、奥村先生の招待講演のうち美文書の話、それにオーム社の事例は、主に 1 の立場でしょう。 KeTpic も 1 ですよね。一方、村上真雄さんの招待講演や解析概論プロジェクト、 OpenOffice は、 2 という見方だと思います。 LuaTeX の開発や TeXLive の報告は、ひとによってどんな立場の話としても聞ける類の内容で、その意味では、発表者ではない参加者の立場もまた上記 2 つのどちらかに当てはめることができそうです。
自分が今年の「 TeX ユーザーの集い 2011」であらためて感じたのが、2 の立場の重要性でした。ドキュメントのあり方というか、そういうレイヤで TeX 環境をとらえるべきなのではなかろうかと思い直しました。
TeX 環境には、きれいな組版ができるという出力側の優れた機能と、テキスト形式であるという入力側の利便性、それにプログラミング可能という特徴があります。それらをうまく使うことで、ドキュメント構造とスタイルという 2 つの抽象を分離できます。「うまく使う」というのがポイントです。うまく使わないと、まるで分離できない。でもうまく使えば、 XML/CSS のような固定的な分離だけでなく、ユーザにとって都合のよい分離を設計することさえできるはず。プログラミング可能というのはそういうことです。
(だから、なにも原稿が XML である必要はないのです。とはいえ、現実には補助線もなく適切な分離を毎回設計してそれを守り抜くのは誰にでもできることではありません。漏れのない抽象化は至難。だから、原稿そのものは XML 風だったり Wiki 風だったりするテンプレートを使って書くというのも次善策でしょう。閑話休題)
こういう話、実は予稿集の「ごあいさつ」にもきちんと書いてありました。実行委員の方々が2の立場を意識しているからこそ、村上さんの招待講演に結びついたのだろうし、実行委員の皆様には本当にどうもありがとうございました。勝手なことを言うと、さらに武藤さんによる「 InDesign 自動組版の可能性と限界」とかあってもよかったかも。テキスト原稿から InDesign への変換ツールを使った商業出版は、自分もほかに知ってるし、けっこう事例がありそうですが、 TeX との比較とかできるのは武藤さんくらいではないかと。そういう、構造/スタイルをはじめとする抽象分離を意識したドキュメント全般の事例をもっと聞いてみたかったです。 LaTeX から EPUB への展開とか、 TeX ユーザーにとって直接役立つヒントも多いはず。(昨今の電子書籍ブームみると、これらが来年のネタの提案としてふさわしいかはちょっと疑問ですが。)
gdgdな内容ですが、だから雑感だといったでしょ。あと、山本さんと八登さんの発表はおもしろかったです。そういえば、上記 1, 2 のような立場だけでなく、おもちゃとしての TeX という路線もありますよね。