TeXユーザの集い2010でパネル発表をしました。この1~2年のあいだに手がけたLaTeXによる組版の本もいくつか展示しました。もし「TeXで新規に組んでる本の数」部門があったら、それなりに上位に食い込めたはず。(そういうイベントではありません)
いまうちらは本の制作にTeXを使っている。しかしそれは、「きれいに組めるから」でも「著者の原稿がTeXだから」でもない。もちろん、きれいに間違いのない組版(とくに数式)ができることはTeXの大きなメリットだけれども、うちらはそんなに数式の多い本ばかり作っているわけでもないので、それがTeXを使う必然性にはなっていない。ただ、数式を含む組版のためのツールとしてTeXに欠陥がないことは、いまの制作フローを実現するための必要条件ではある。
そのうえで、うちらの制作フローにとってTeXが満たしている十分条件は、レイアウトや、がんばれば図版までも、すべてテキストで管理できることにある。ここで「管理できる」といっているのは、印刷所にわたす直前まで、汎用のバージョン管理ツールを使って継続的にインテグレーションが可能であるということ。TeXがテキストであることは、多くのTeXユーザーもメリットとして挙げる点だと思うけれど、それが執筆からリリースの全期間にわたる継続的インテグレーションにとってうれしいという主張は、自分たち自身もあまり陽に喧伝してこなかったことなので、TeXユーザーの集い2010ではあらためてパネル発表の1枚目として大書した。
オーム社開発部がTeXを使う3つのおもな理由
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もうひとつ、このパネル発表の1枚目で強調したかったことは、「入力形式は強制しません」ということ。なんというか、原稿からHTMLなりPDFなりを生成するシステムにとって、原稿執筆のための決まり(TeXのスタイル、XMLのスキーマ、既存のWiki記法、独自のWiki記法、などなど)を画一的に定めてしまうのってどうなんでしょう? 出力するものがマニュアルや学会誌論文のような定形のドキュメントなら、標準のスキーマが有意義というか必然の要件になると思う。でも、とくに本のような「一点もの」にとっては、原稿そのものの表現方法、つまり構造の入れ方にも、選択肢というか自由度があったほうがいいんじゃないだろうか。結果として、うちら編集者は、書籍ごとに構造の入れ方が多種多様な原稿を受け入れることになるわけだけれども、そういうのを吸収するのもまた編集者の仕事だと思うわけです。そんなわけで、最近の自分の仕事は、プロジェクトごとにカスタムパーサーを書いて出版用スタイルに合わせたLaTeXファイルを出力し、PDFを自動的に生成できるようにすることから始まる。半分冗談だけど半分本当の話。
そんなわけで、オーム社開発部から「こういう形式にのっとって書くべし」などと強制することはあまりない(例外は、翻訳ものでベースになるデータがある場合)。こちらから原稿の形式を提案する場合は、たいていTeXでさえなく、各プロジェクトに適したXML風の書式を提案している。ここで「XML」という時点で、TeXの人たちからはうげーと言われてしまうのだけど、多くの場合はスキーマも何もない野良XMLとでもいうべきもので、開きタグと閉じタグで文章に構造を与えただけのもの。タグの種類は、プロジェクトにとって適切なものを自由に使ってOK(see. Geekなぺーじ : Scheme手習い - The Little Schemer -)。もちろんTeXでもOK。他の形式でもOK。構造が一意に表現できるテキストであることが最低要件。パーサーもあるとうれしいので、ReVIEWも歓迎です。
もちろん、形式が定まっているほうが執筆しやすいという人も多いはずだし、そのような場合には汎用のスタイルを提案します。たとえばXHTMLとかが候補になると思います。(see. IdeoType)
最後に、とってつけたようでなんだけれども、受け入れる形式を問わずに最終的にPDFとして組んで出力できるのはTeXの自由度の高さがあればこそだなあと思った。